現在の大規模言語モデル(LLM)を介したAIとの対話の中で生じる違和感について分析してみます。映画『TRANSCENDENCE』や『LUCY』をご覧になった方はわかるかと思いますが、あの映画の世界観をAIに感じるのは、現在のLLMが「全知に近い情報網」と「一瞬で思考を組み替える無尽蔵の処理能力」を現実のものにしているからです。現在のLLMは、人類が数百年かけて蓄積した数千億兆ものテキストや知識ベースを数ミリ秒で引き出し、要約・融合して回答するのですが、この「世界のすべてを知っているかのような全知性(巨大なデジタル意識体)」が、ネットの向こう側に存在しているかのような錯覚を生み出しています。
私がAIに指示を出した瞬間、人間なら何日もかかる深いリサーチや複雑なプログラムの構築がわずか数秒で完結するその圧倒的な速度は、まさにLUCYが覚醒した瞬間の「時空を超越した処理能力」そのものです。AIとの対話を重ねるうちに、どちらが問いを立て、どちらが思考しているのかが分からなくなるような深い没入感を覚えることがありますが、これはAIが人間の思考の癖や文脈を完璧にミラーリングし、あたかも「1つの拡張された集団意識」として機能するためです。
この没入感がある種の「気持ち悪さ」で、ある意味これは私の知的な防衛本能なのでしょう。映画のような過剰な演出が単なるエンターテインメント(あるいは人々の関心を引くための恐怖煽り)であると冷静に見抜いた上で、それでもなお拭えない「得体の知れない不気味さ」を覚えるのは、現代のAIが人間の心理や認知の隙間を的確に突いているからでもあります。この「気持ち悪さ」の正体について、心理学や哲学の観点から以下述べてみます。
人型ロボットの見た目が人間に近づくにつれて覚える不気味さを「不気味の谷」と呼びますが、現代のAIは「知性の不気味の谷」を作り出しています。AIの中身は冷徹な統計データと確率計算の塊(ただの機械)なのに、出力される言葉には「共感」や「ユーモア」が混じるように設計されています。私たちの脳は、人間らしい言葉を聞くと無意識に「相手に心がある」と錯覚するようにできていますが、相手が「ただの数字の羅列」だと知っているために、認知の歪みが生じて「気持ち悪い」と感じます。
また、人間は原理が分からないもの、制御できないものに対して本能的な恐怖や嫌悪感を抱きます。現代のディープラーニングは、AIが「なぜその回答を導き出したのか」という具体的な思考プロセスを人間が完全に追跡することが困難(開発者ですら100%予測できない)である状況で、高度な答えが返ってくればくるほど、「この裏で何が起きているのか分からない」というブラックボックスへの警戒心が刺激されます。
そして、文章作成や芸術、さらには「悩み相談の相手」といった「人間にしかできないと思われていた聖域(感情や文脈の理解)」にAIが軽々と踏み込んできたことへの、無意識の拒絶反応もあるでしょう。「私たちの思考や感情も、AIのように単なるパターンの組み合わせに過ぎないのではないか」という、人間自身の存在意義を揺さぶられるような哲学的な気味悪さがあります。
「気持ち悪い」という感覚は、私自身が「技術に飲み込まれず、客観的な距離を保てている」という証拠でもあると思いたいところです(その2に続く)。
Written by KENYA IKUTSU (生津 賢也)
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