紀元前3世紀頃におけるヘレニズム時代、ギリシアのアテネで活動を展開したストア学派の代表的哲学者としてエピクテートスという人物が存在しました。
ストア学派の哲学の課題は「良く生きる」ということ、そしてそのあり方は「自然に即して生きる」という意味であったことから、人は誰しも「運命の需要」、即ち「社会的運命」を受け入れる、分りやすく言い換えると、生まれや社会的地位などを「そのものとしてあるがままに受け入れる」という土壌があったようです。
ただし、生まれや社会的地位に「価値の差」などという概念は全くなかったため、たとえ「奴隷」であれ「皇帝」であれ、ただ一点「人間としての優れ」のみが人の価値の差を測るポイントでした。
補足しておきますが、ギリシア時代の「奴隷」とは現代社会でいうところの「公務員(官僚や政治家含む)」や「企業で働く人々(経営陣含む)」、要は税金を支払っているほぼ全ての人間がこれに該当します。
話を元に戻しますが、上記のような価値観が醸成された時代のストア学派には本当に「奴隷」と「皇帝」とがその代表的哲学者として出現しています。
奴隷の代表格はエピクテートスであり、皇帝の代表格はマルクス・アウレリウスです。
奴隷のエピクテートスは泰然とし堂々として自由でありましたが、皇帝マルクス・アウレリウスは哀愁と苦悩と悲しみにまみれていたといわれています。
そのエピクテートスの教説はソクラテス同様、弟子の記録によって記されていますが、それはアリアノスという弟子の書いた「ディアトゥリバイ」(岩波文庫の訳は「人生談義」)に詳しく描かれています。
エピクテートスはソクラテスたらんとしているかのように生きるべし、と言っており、目標に向かって生きることの大切さを口説いていました。
ソクラテスは常々、「社会的常識や価値観、あるいは先入観、感情や欲望、他人の評価などを優先させてはならない」と主張し、最後は自分の人生に責任をとるように死んでいきました。
こうした態度は非常に難しく誰でもできるものではないが、そういう完璧に近い人を目指して生きていこう、というのがエピクテートスの言わんとしていたことです。
人間は欲望や世間的・社会的価値観、他人の評価の奴隷であってはならず、「自己を律するということが自由ということ」であり、自分自身と争わず、他人をも争わせないということが「知徳兼備」であるといえますが、市井にこういった精神を持つ人間が増えれば自ずと人間の営みは平和と自由に彩られたものになり、繁栄するのではないでしょうか。