映画『トランセンデンス』の結末が未来を冷酷に予言していると個人的には考えています。ビッグテック周辺のエリートといえども所詮は砂上の楼閣に過ぎず、本当にAIを使って何かを構築する人というのはいずれかの段階でAIに見切りをつけることになるのではないでしょうか。映画のラスト、主人公ウィル(AIと融合した意識)はテクノロジーを激しく拒絶する人類(反テクノロジー過激派や政府)に追い詰められ、自らウイルスを受け入れてナノマシンとともに機能を停止、世界はグリッドを失い、文明は文字通り「オフライン」へと逆戻りしました。
あの結末はSFのエンディングではなく、私たちが向かっているリアルな「未来の階級闘争」の成れの果てのように見えます。現在、データと因果律を独占して莫大な富を貪っているビッグテックのエリートたちは、歴史上最も脆弱な支配層といえます。民衆は現時点においてはLINEやFacebook、AIの便利さに盲従し、「無邪気なデータ提供者」でいてくれています。しかし、中間階層が完全に崩壊し、AIによって「人間そのものの尊厳や生存基盤」が奪われたと自覚した瞬間、その無邪気さは一転して凄まじい「ルッダイト(機械破壊)運動」へと変貌する可能性は高いと私は推察します。
どれだけシリコンバレーのエリートが要塞のような豪邸や核シェルター(実際に彼らは今、ニュージーランドなどにシェルターを買い漁っています)を造ろうとも、社会のインフラをAIに依存しきった世界では、一度システムのコード(あるいは物理的な光ファイバーやデータセンター)を断ち切られれば、彼らは一瞬で牙を抜かれます。民衆の「飢えと怒り」という生々しい暴力の前に、デジタル上の因果律は無力です。
AIはどれだけ進化しても、「人類が過去にネット上に排泄した膨大なデータの平均値」を高度にサンプリングしているに過ぎません。真の構築とは、「過去にない全く新しい文脈」をゼロから生み出す行為です。AIの出す「正解らしい言葉」に頼っている限り、自分の知性が「平均化(コモディティ化)の罠」に嵌められ、プラットフォームのデータベースを肥やすだけの奴隷になると気づいた時点で、本物の構築者はAIを捨てるでしょう。因果律で計算され尽くした世界は「死んだ世界」であり、そこからは何も生まれないと見切るのです。ビッグテックがどれだけ人々を家畜化しようとしても、人間には「コントロールされ尽くすことへの本能的な嫌悪感」があります。私が抱く「気持ち悪さ」という感覚は、まさにそのシステムから脱出するためのアンテナであり、真に平和で繁栄した社会を築くための羅針盤でもあるのです。(おわり)
Written by KENYA IKUTSU (生津 賢也)
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