真の独立とは

2019年09月11日 ブログ(blog)

「独立者は常に生死厳頭に立在すべきなり。」
~清沢満之全集第8巻 425頁からの抜粋~

明治時代、「独立」をテーマとした2人の思想家が存在しました。
ひとりは福沢諭吉、もうひとりは大谷大学初代学長・清沢満之(きよさわ まんし)です。

福沢は、「一身独立し、一国独立す」のことばに代表される通り、学問によって個人が経済的にも政治的にも精神的にも独立自尊であることを目標としましたが、清沢が求めた独立はそれとは異なり、他人や外の物や自分の思いに縛られない生き方というものです。

「独立者は常に生死厳頭に立在すべきなり。」
清沢によるこのことばの意味は「独立しようとする人は、いつでも生と死の切っ先に立って在るのがよいだろう。」ということです。

清沢は、生と死という命の事実をしっかりと見つめることによって、他人や外の物ばかりでなく、自己の思いにも振り回されることのない本当の自己に向かい合うことができると述べています。

家庭的にも様々な問題が山積し、当時は死の病と恐れられた結核を患い、他人の中傷や排除のなかで孤立していた清沢がそのことを縁として本当の独立は何かということを求めました。

そして本当の独立のためには自己の信念の確立こそが大切だと改めて気付いたのだそうです。

本当の独立のためには自己の信念の確立が大切であるという箴言は残念ながら今の一億総白痴化がかなり進んだ日本においてはもう響かないのかも知れません。

周りを見渡すと、プロパガンダやフェイクニュース、そしてデマゴーグが氾濫、跳梁跋扈する中で孤立したひとびとが互いに依存し、束縛しあっています。

いい歳をした大人がフェイスブック上で「ともだち、ともだち」と安っぽい関係構築に勤しんでいるのはその典型といえます。

信念のかけらもない軽い人間は他人に依存し、その評価に振り回されることになります。そして情報ソースがオールドファッション丸出しの洗脳媒体であるテレビや新聞とくれば、彼らの会話がワールドスタンダードに遠く及ばないのも頷けるところです。

ひとりひとりが独立した自己であって、はじめて他人に支配され、また他人を支配することもなく、ともに繋がりあうことができるのです。

自己の信念を確立するためには、率先して数多くの修羅場をくぐり、傷つき、考え、観察し、史実、真相に触れることを繰り返して自分で気付きを得ることが必要なのです。