真夏の赤門ラーメンと山川健次郎像に思いを馳せて

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先日、ソーラーシェアリングでお世話になっている和地先生に案内され、東京大学に行ってきました。
待ち合わせ時間がちょうどお昼なので構内にある学食を体験しようと連れて行ってもらいました。
本郷キャンパス内にある中央食堂です。意外と学生の姿は少なく、工事関係者?(構内にはあちこちと工事現場が目につきました)や一般の人が多くみられました。案内をしてくれた和地先生から「有名なのは赤門ラーメンなので、食べてみてはいかが?」と勧められたので、食べてみることにしました。

これが東京大学本郷キャンパスにある中央食堂の「赤門ラーメン」です。(普通盛り400円)さすが学食、安い-!!
元来辛いものが苦手な私ですが、和地先生のおすすめともあって、注文することにしました。食券をもって並んでいると、
出てきました。見るからに辛そうな担担麺的なラーメンです。一口食べてみると、意外に辛くないんですね!具材としては
人参、椎茸、白菜、きくらげ等など栄養を考えてか、色々と入っていました。一般の方でも気軽に入って食べられますので、
是非皆さんにもお勧めです。

安田講堂の裏に回ると目に入る胸像、それが山川健次郎像です。
山川健次郎は会津藩の出身で、東京帝国大学で物理学を研究し、東京、九州、京都の3つの帝国大学の総長を務めました。
明治政府派遣の女子留学生として有名な山川捨松の兄としても知られています。物理学者としては1881年に東京帝大理学部教授となり、
1885年に分光器による太陽スペクトルの観測をしました。1888年に博士号の制度が開始した際に日本初の理学博士となった5人のうちの1人でもあり、教科書「新選物理学」の執筆(草稿明治20年代)、自作のX線管によるX線実験(1896年)などを行っています。

教育者としては1901~05,1913~20年に東京帝大の総長を務めました。山川総長の1期目には戸水事件が起こりました。
これは戸水寛人法科大学教授が1905年に日露講和会議に反対する論文で文部省より休職処分を受けたのに対し、法科大学の教授らが処分の撤回と復職を求めたものです。山川総長は自ら辞任することによって政府に対する大学の自治を守りました。

 

なお、東京帝大で帝国大学令改正により分科大学が学部に再び改組され、経済学部が新設されたのは、山川総長の2期目の1919年のことです。
さらに、山川健次郎は1914~15年には京都帝大の総長も兼任し、1911年には九州帝大の初代総長となりました。この胸像は2006年に山川健次郎の曾孫である福田宏明氏夫妻、孫である服部艶子氏により寄贈されました。胸像の近くにはローソンや中央食堂などがあり、学生生活にとって便利な空間となっています。この像によって授業の合間にふと東大の歴史に思いを馳せることができるのではないでしょうか。

2017-07-27T15:51:50+00:00 2017/07/27|ブログ|